260年続いた徳川幕府での将軍職は実務よりもお世継ぎを誕生させる事に重きを置いていたようです。
家を守る事に徹底したからこそ、徳川幕府は絶える事なく260年も続いたのでしょうか。
徳川幕府で子だくさんの将軍が歴代1位の在職期間なんじゃぞ
53人もの子を誕生させたって本当だピヨ!?
53人もの子宝に恵まれた徳川将軍は誰なのでしょう。そして、そこまで子孫を繁栄出来たのには訳がある?歴代1位の在職期間にも関係しているのでしょうか。
最も子だくさんの徳川将軍は誰?その秘訣とは?
260年をも続いた徳川幕府の中で、最も子だくさんである徳川将軍の名は…
◆徳川家斉(とくがわいえなり)徳川幕府11代目将軍です。
何と、53人もの子孫を繁栄させました。
55人とは、現代ではあり得ない子供の数ではありますが、将軍家だからこそ成しえた事なのでしょうか。
◆2番目は…29人の子どもを持つ徳川家慶(とくがわいえよし)12代目将軍です。
◆3番目は…16人の子どもをもつ徳川家康(とくがわいえやす)徳川幕府初代将軍です。
55人もの子供を持つ、徳川家斉がなぜそんなに子孫を繁栄出来たのか?とても気にあるところですね。
その秘訣は…
『規則正しい健康な生活』にあったと言われています。
●毎朝必ず早朝に置き、屋敷の広大な敷地内を散歩していた。
毎日散歩する事で血のめぐりも良くなり健康的だと言われています。
●1年中薄着で過ごしていた。
冬でも薄着だったそうで、暖房も小型ストーブくらいの暖を取る程度だったとか。
●適度な運動をしていた。
月に数回は、猛暑や悪天候にも構わず、『鷹狩り』を趣味としていたそうです。
若い頃も激しいスポーツを得意としていたそうで、体力づくりには余念が無かったのだとか。
なるほど~!現代でも共通する健康法で子孫繁栄していたんだピヨ
徳川家斉将軍は、実に17歳から55歳までの間でほぼ毎年子供が誕生していたそうで、男子26人、女子27人の名前が記載されているようですよ。
正妻である広大院を筆頭に、側室24人と、使用人として働く女性の中からも”お手付き”と呼ばれる存在が20人以上は居たとの噂です。
53人もの子孫を誕生させたけれど、半数の28人だけが成人出来たそうで、半数は5歳までに死去しているそうです。
当時の平均寿命が『30代~40代』と言われていますが、乳幼児の死亡率が高かった大奥の事情もあったようです。
1番の理由は、大奥の女性がそのころ使用していた”おしろい”に含まれていたのが、有毒な鉛だったそうです。出産した母親が授乳出来たわけでもなく、満足のいくように子育てが出来なかったことにも理由があるのかもしれません。
そのためにも多くの子孫を誕生させる事に尽力していたとも言われています。世継ぎ作りが、『最重要任務』だったとも言われています。
となると、江戸幕府でも徳川家斉の将軍である期間も長かった事が推察出来ますね。それでは、次項を見て行きましょう。
江戸幕府のナンバーワン在職期間の将軍は?
前項では、最も子だくさんな将軍として紹介している将軍がやはり、ナンバーワン在職期間の将軍でした。
◆徳川幕府のナンバーワン在職期間の将軍は…
『徳川家斉』11代目将軍
その在職期間は50年にも及ぶのです。
◆第2位は…8代将軍徳川吉宗(28年1か月)
◆第3位は…4代将軍徳川家綱(28年9か月)
◆第4位は…5代将軍徳川綱吉(28年5か月)
◆第5位は…3代将軍徳川家光(27年9か月)
11代将軍徳川家斉は、13歳から63歳まで将軍職につきました。その後息子の家慶が将軍となってからも、大御所として実権を握りつづけたそうです。
強壮である事で、世継ぎを多く誕生させ、長い期間江戸幕府をさせる程の中心人物であったという事ですね。
とても、興味深い結果でありました。
子だくさんの徳川将軍は誰?江戸幕府在職期間もナンバーワン!その秘訣は?まとめ
どうじゃったかな?現代では驚くほどの子だくさんの数じゃったな
53人の子どもを誕生させた徳川幕府11代将軍徳川家斉の健康の秘訣についてもご紹介しました。
現代ではあり得ない数であるのは、日本でも『一夫一妻制』の始まる明治31年まで『一夫多妻制』であったから…ですね。
53人のうち半数が成人出来なかった江戸時代の切なさも感じたピヨ
そして、当時の平均寿命が30代~40代であったという事実にも驚きでしたね。
歴史を知るという事は、歴史上の人物を知るという事であり、現代でも学べる事の多さにも驚きました。
『規則正しい生活と、程よい運動をする』江戸時代でも現代でも、変わらぬ健康法も学べましたね。徳川家斉11代将軍の強壮の秘訣は、現代でも役立つ長生きの秘訣なのかもしれません。